2012年度 第4回受給者 佐竹 栄一郎の体験記
2021.05
~一歩ふみ出せ!5人の子どもと妻と一緒にボストンサバイバル記~
Genetics and Epidemiology, Joslin Diabetes Center Research Fellow
佐竹 栄一郎
ジョスリン糖尿病センター Genetics and Epidemiologyに所属しております、佐竹栄一郎と申します。簡単に自己紹介しますと、出身は福島県福島市で2001年に静岡県の浜松医科大学を卒業し、同小児科に入局。その後関連病院にて研修、勤務した後、浜松医科大学大学院に入学し、小児期メタボリックシンドロームの研究に専念。博士号を取得したのちは、小児科専門医、内分泌専門医(小児科)として浜松医科大学附属病院で主に小児内分泌疾患の診療、研究、教育に従事しておりました。2013年の8月からサンスター財団から助成を頂き、ハーバード大学附属ジョスリン糖尿病センターに留学する機会を得、そのまま現在に至ります。
思い起こせば、医師になって11年目、大学院を卒業してから海外でも研究したいと思いつつ、なかなか行動できずにいました。留学する一つのきっかけは、ボストンのMassachusetts General Hospital(MGH)で開かれた内分泌セミナーに参加し、ハーバード大学の教授陣の講義を受けたことです。ボストンにはハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)、ボストン大学など多くの大学があり、またMGHだけでなく、ダナファーバー癌研究所、ブリガムアンドウィメンズホスピタル、ベルイスラエルメディカルセンター、ボストン小児病院、そしてジョスリン糖尿病センターといった世界に名だたる病院や研究所がひしめきあっています。そういったアカデミックな環境で研究し、さまざまなつながりや経験ができたらいいだろうなと思いました。その反面、大学病院での診療、研究、教育での忙しさや4人の子ども達の子育てで手一杯な毎日に一歩踏み出せずにいる自分もいました。ボストンでのセミナーから帰ってきて、妻に「子どもが4人いるし、海外留学はもう難しいかな。」と相談したところ、「何を言ってるの!ずっと行きたいって言ってたじゃない。応援するからがんばって。」と逆に喝を入れられました。一歩踏み出すのに妻の協力がとても大きかったと思います。これで私の留学への気持ちが固まりました。ちょうどその頃日本糖尿病学会のホームページでサンスター財団の海外留学募集を見つけました。当時の応募資格は、年齢37歳までの博士号を持つ医師であることが条件で、年齢的に最初で最後のチャンスでした。上司から申請の許可をもらい、これまでの研究成果をまとめ、応募したところ幸運なことに採用されました。採用が決まった時のうれしさは忘れられません。病院業務をしながらの引っ越しや各種手続きなど、渡米までとても大変でしたが、一歩踏み出して本当によかったと思いました。
ジョスリン糖尿病センター内の留学先を決めるにあたっては、当時の小児科の教授が遺伝学分野の専門だったことと、日本でも継続できる研究分野としてGenetics and EpidemiologyのKrolewskiラボを選びました。ボスであるProf. Andrzej Krolewskiはポーランド出身の腎臓内科医で、ワルシャワ医科大学でMDとPhDを取得され、その後渡米し、ジョスリン糖尿病センターやMITで糖尿病の合併症、特に糖尿病性腎臓病の研究に従事し、ジョスリンの Genetics & Epidemiologyのトップになりました。ボスは親日家で、これまでたくさんの日本人フェローを受け入れてきました。すでに75歳を超えていますが、NIHグラントを取得し続け、精力的に研究を継続されています。私に与えられたテーマは、糖尿病性腎臓病における末期腎不全の早期発見マーカーについての探索研究です。主にマイクロRNAとプロテオミクスの解析、またGWASデータ解析から新規のバイオマーカーを探しだし、糖尿病性腎臓病の病態解明と新規の治療法の開発を目指す研究をしています。Joslin糖尿病センターの膨大な検体を調べ、またNIHと共同研究をして論文を書いたりと、多くのビッグプロジェクトに関わることができ、大変光栄に思っています。同じサンスター財団からの留学補助金で来られた先生方を含むジョスリンの日本人フェローの方々の存在も大きく、また心強く、そのつながりは一生の宝物です。
ラボのメンバー(向かって右端が筆者)
子育て中
ボストンハーフマラソン2019に妻と参加
マサチューセッツ州の避暑地であるチャタムにて